よ日記

京都府 大覚寺・清涼寺

お寺や古い町並みを訪れるのが好きなので、近畿圏内の日帰りでいけそうなところは今までちょくちょく訪れていました。
奈良や和歌山は自宅から行きやすいのもあって随分行きましたが、京都に関しては遠いのと混むのとであんまり訪れたことがありませんでした。先週初めて貴船神社に行ったくらいです。

先週、常照皇寺へ向う途中に嵐山の渡月橋付近を通りました。その時友達との会話で、嵐山近くに良いお寺がいっぱいあるのにあんまり行った事がないのに気付きました。
そんな訳で(先日門前近くを通りかかったこともあって)今日は嵯峨嵐山の大覚寺と清涼寺を訪れました。

嵯峨へ向う途中、桂川では河原でスケッチを楽しむじいさんばぁちゃんがちらほらいました。柳も萌黄色の芽をふいてのんびりした気持ちの良い風景です。こっちも気分よく調子の外れた京都慕情を歌ってる間に昼頃、大覚寺の門前駐車場に着きました。
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大覚寺の近くには広沢池という池があって、その周りは田んぼが広がっています。広沢池のほとりで池にプカプカ浮いてるカモと咲き始めた桜を眺めながらお昼のお弁当を食べました。
池の周りの田んぼは満開のナズナの花で覆われていました。田んぼが白くてフカフカして見えます。畦にはタンポポも咲いています。大覚寺へ向うのに田んぼの近くの道を通りましたが、風景がのどかなのと天気もいいのとで畦に寝転んで昼寝したくなった。

大覚寺は平安時代初期の嵯峨天皇が開いた真言宗のお寺です。嵯峨天皇は空海がお気に入りだったから真言宗なんかな。あと大覚寺は嵯峨天皇の離宮でもあります。
寝殿は狩野派画家の金箔地のきらびやかな絵がたくさん飾られていました。寝殿前の庭は真っ白な砂が敷き詰められて、左近の梅と右近の橘が植えられています。
境内の東側には大きな庭池がありました。池に島が二つと石が一つあって、この配置が華道嵯峨御流の基本形になってるとか。それ以上にカモやでかいカラスゴイが池にいっぱいいて近寄っても逃げないのが嬉しかった。松尾芭蕉の「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」という俳句はここで読まれたそうです。

部屋やお庭を見ていると天皇の離宮だけあって学問、修行の場というよりは優雅な住まいという雰囲気でした。あと、京都嵯峨芸術大学は大覚寺が運営しているそうです。そういえば近くに嵯峨美があった。

大覚寺から少し行ったところに清涼寺があります。こちらは浄土宗のお寺です。
方丈に描かれていた雀(模写か)20070331192038.jpg

清涼寺のご本尊の三国伝来の釈迦像は特に有名です。
昔インドで釈迦が37歳の時、その姿を写して作られた像がヒマラヤを越えて中国に渡来。その像を日本から中国に修行に来た僧がありがたいという事で現地の仏師に摸刻させたそうです。それが日本に伝わって清涼寺におまつりされているとのこと。

お釈迦さんははるばる海を越えてきただけあって大陸風のハッキリした顔立ちです。頬の張りといい目鼻立ちといい、うちの職場の係長となんか似てました。
背筋もピーンとして衣が体にフィットしてる。衣の彫りも体の線に沿って細かく彫りこまれています。
奈良・西大寺にこの清涼寺と全く同じスタイルのお釈迦さんがおまつりされていましたが、当時の日本ではこのスタイルの釈迦如来をありがたがって皆摸刻したそうです。
あと、このお釈迦さんの体内には五臓六腑を現す絹で出来た内臓が入っていたそうです。人体の構造を中国で千年前に知っていたことを証明するものとしてかなり貴重なものらしい。本物じゃないけれどレプリカが展示されていました。腸がよく分かった。
4月1日からは阿弥陀三尊の特別公開もあるそうです。タッチの差で拝観できなかった。20070331192024.jpg
この猿は書院に描かれていた猿の絵。なんか悪そう。

清涼寺は大覚寺とは違い修行、学問するところといった寺の雰囲気が満ちていました。書院の庭は広くはないけれど静かで苔がきれいでした。雨が降れば緑がもっときれいだと思う。20070331195123.jpg


清涼寺は山門が閉まる頃出ました。門前にお豆腐屋さんがあったのでお豆腐2丁と納豆を買って帰りました。

京都の寺院は特に庭がいいなぁ。桜が満開になると京都はきっと人が溢れると思うけど渡月橋とか嵐山もきちんと歩きたいと思います。人でつかれるかな。



初物

日に日に暖かくなってきて、気が付いたらモミジやアケビも芽を出してきました。20070330201150.jpg

先日出荷した竹の子、なかなかの値段で売れたようです。今年は暖かいので竹の子もたくさん出てそうだけどあまり出荷されてないそう。良い値で売れるのはうれしいけど、掘った竹の子が全部出荷にまわってあまり口に入らなくなるのは少し残念。
竹の子はハナズオウが満開になるまでぐらいがシーズンです。

ところで今日は山で今年初めてのタラの芽が採れたので夕食に天ぷらにして食べました。
タラの木はウコギ科の全身とげだらけの低木です。荒地が好きなのか砂っぽい山の斜面でよく見かけます。木はスリコギとして使われます。
落葉樹なので冬は葉を落としていますが、春になると木の先端に臙脂がかった緑色の芽をつけます。この芽を採って食用にするのですが「山菜の王様」と言われるぐらい天ぷらにするとおいしい。
口に入れるとタラ独特の香りが広がります。見た目はとげだらけなのに触感はもちもちしていてまさに山菜の王様。春を食べている感じ。20070330201135.jpg

山には野生のタラと種屋で買ってきた栽培用のとげ無しタラ2種の合計3種類を植えています。3種類とも食べ比べましたが野性のタラは香りが強くてほろっと苦味があったような気がする。栽培用のは品種改良の時にモチモチ感をアップさせたそうです。
タラと一緒に菜の花も天ぷらにして食べました。菜の花はもうこれで食べおさめだなー。

初物を食べると75日長生きするそうです。もうじきワラビも生えてくるしミツバも摘み時を迎えるしで今年もまた寿命がのびそうです。

合間の写真は去年の今頃の竹の子山。

桜の季節

職場の桜のつぼみがほころび始めました。
ラジオでは山本コータローの「岬めぐり」がよくかかっています。サビのところが好きなのでついつい口ずさんでしまいます。
今年は「なごり雪」あんまりかかってないな。冬が寒くなかったからかな。
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制作はぼちぼちやってます。絵の具を溶きながら岬めぐりのリコーダーのイントロ部分を口笛で吹いています。

竹の子初出荷

今日は竹の子を初出荷。
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家の竹の子山はそんなに広くはありませんが毎年春になると竹の子を出荷しています。今日は50キロほどあったそう。白い竹の子は刺身にしてよし若竹汁にしても美味しい。
4月に入ると本格的に竹の子のシーズンを迎えます。犬も一緒に竹の子山に連れて行ってもらいますが何も手伝いません。父が「少しはこいつも竹の子掘ったりコンテナに竹の子集めてくれてもいいのに。」とぼやいでいました。20070325214245.jpg

京都府 常照皇寺とか

友達が車を購入しました。慣らし運転もかねて京都のドライブに連れて行ってもらいました。
ちょうど去年の今頃、藁葺き民家のたくさん残る美山町を訪れた帰り、常照皇寺という雰囲気の良いお寺に立ち寄りました。でも時間が遅かったので閉門していました。今日は去年参拝できなかった常照皇寺を中心にその辺をうろうろドライブするつもり。

車で高雄山・神護寺や高山寺を見ながら周山街道を北上していきます。(このままひたすら周山街道・国道162号線を走ると福井県の小浜市に出ます。)そんで鞍馬山行く道に折れて田んぼや藁葺き民家を眺めつつしばらく走ると常照皇寺です。結構山の中だけど一応京都市です。京都は田舎でも家の構えがなんか垢抜けてるような気がする。家をベンガラで塗ったり杉を庭に植えたりして外観がとてもしゃれてます。山の杉もよく手入れされててまっすぐです。

総門横の駐車場に車を置き、苔むした参道の石段を登ると常照皇寺の勅使門に出ます。
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常照皇寺は去年訪れた時と変わらず静かな佇まいでした。20070324235419.jpg
常照皇寺は臨済宗のお寺です。南北朝時代、北朝の光厳天皇が都の政争を避けて山の中に開いたお寺でと参拝のしおりに書かれていました。
お寺の受付にはテレビや雑誌などの取材一切お断りの張り紙がしてありました。禅宗のお寺だからか境内の手入れがすごくキッチリなされていました。手入れの行き届いたお庭の杉苔がとてもきれい。苔に混じってショウジョウバカマが小さな赤い花をつけていました。20070324235349.jpg

常照皇寺の境内には「九重桜」「左近桜」「御車返し」の名がついた古い桜の木があります。どの桜も大きな立派な木です。桜の木の幹がうねって幹だけ見ると何か動き出しそうな力強さを感じました。
方丈の前のお庭に枯れて幹だけになった桜らしい古株がありました。木自体は枯れてしまっていたけれど幹の根元から若い杉が生えていました。枯れた株が大きな岩みたいに見えた。(あとで気付いたけど、株の横に橘が植わってたから桜じゃなくて梅だな。きっと)
開山堂の前の九重桜は国の天然記念物に指定されているそうです。訪れた時は桜のつぼみはまだまだ固かったけど満開の時はきっときれいでしょう。
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常照皇寺を後にして細い山道を通り、芹生の里を越えると貴船神社の奥の院にでました。時間もあるしせっかくだからお参りしました。今日は天気予報では結構あったかくなる事を行ってたのに貴船は寒かった。さすが京都の避暑地だけはあります。20070324235255.jpg

奥の院の入り口に樹齢千年の杉がありました。和泉式部がお参りしたときは苗木だったのかな。ちょっと奥には桂の古木もありました。いたるところにミヤマカタバミとルリソウが生えていて花を咲かせていました。寒いけどやっぱり春だな。20070324235337.jpg


貴船神社の本宮は若い女性が結構いた。本宮は新しくてピカピカでした。灯篭の続く参道はポスターなんかでよく目にします。夕暮れ時で灯篭に明かりが灯って赤の色がさらに映えていました。石畳も雨でぬれてしっとりとした感じです。なんか石段の先は異空間に続いてるみたいです。20070324235241.jpg

椿の花の赤と雨上がりのつややかな苔の緑がきれいでした。
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神社周辺には高級そうな料亭がありました。
貴船神社周辺は灯篭や提灯の赤の色がよく似合います。20070324235324.jpg


帰りは京都市内がちょっと混んでて家に着いたら8時過ぎ。長めのドライブで運転していた友達はお疲れさんだけど、久々の京都の雅な風景を見てのドライブは楽しかった。山の中でも京都はやっぱり垢抜けてると改めて思いました。これでもう少し春・秋の観光客が少なかったら行きやすいのにな。京都。

今日はお彼岸

今日は一日箔おしたり形をなおしたり。20070321203301.jpg


外はぽかぽか良い天気なのに家の中はまだ寒いです。家の向かいがお寺なので、今日はお彼岸ということもありお参りする人達で賑やかでした。

山桜はまだつぼみが固いけど彼岸桜は満開です。家から少し行った所に樹齢600年の大きな枝垂桜があって満開の時はすごくきれいです。

春なのでフジファブリックの「桜の季節」ばかり聴いてます。
あとお気に入りの「みんなのうた」のカセットの上巻をどこかになくしてしまいました。もうメトロポリタン美術館とコンピューターおばぁちゃんが聴けません。
カセットには「まっくらもりのうた」と「風のオルガン」入ってなかったので思い切ってみんなのうたのベストアルバム買おうかな。
まぁそんな感じ。

大阪府 四天王寺界隈

前から「絵の具買いに行かないともうないよ。」と思っていたけど週末出かけてばかりで街に出る機会がありませんでした。そしてとうとう箔も絵の具も全部なくなってしまいました。と言う訳で今日は絵の具を買いに天王寺に行きました。20070317192208.jpg


友達が出品している日展がちょうど大阪市美術館で開催してたので見に行きました。何年か前はこの辺りはアンモニア臭とカラオケの騒音がすごかったけど今は静かな遊歩道です。でも鳩フンが多いのは変わりませんでした。青空の下、将棋をさすおっちゃんの後ろにあやしい城が見えます。
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日本画絵の具専門店の三野昭和堂は四天王寺の参道にあります。お隣の赤松種店とならんで天王寺商店街の老舗です。赤松種店は大きな木製の箱や、箪笥(みたいな入れ物)の引き出しに種を入れて量り売りをしています。20070317192133.jpg
三野昭和堂は店主ご夫婦と息子さん夫婦でやっています。今日は久々にご主人に会いました。ご主人は上品な大阪弁を話すとても品の良い方です。今日も絵の具を詰めてもらいながらとりとめのない話をしました。この前、横の種屋さんと昭和堂がNHKの番組で紹介されたそうです。

いつもだったら絵の具を買ったらすぐに帰るか本屋に行くかですが、今日は天気もいいので四天王寺と一心寺を散歩しました。(すぐ帰っても田舎なので家へ帰るバスが最寄り駅から2時間に一本しかない。)

こちらは四天王寺。聖徳太子ゆかりのお手です。20070317192045.jpg

お寺自体は空襲で焼けてしまったので新しく作り直されたものです。三野昭和堂の店主が子供の頃、空襲で逃げる時に燃え上がる五重塔を見たそうです。塔の相輪から真っ青な炎が噴き出して、非常時なのにものすごくきれいと思ったのを覚えているとおっしゃってました。
お寺はお参りする人や鳩に餌をやる子供連れの家族で賑わっていました。池で亀がいっぱい甲羅干しをしていました。ええ感じ。

次に寄った一心寺は無縁仏をおまつりしているお寺だそうです。(と昭和堂の奥さんからきいた)あと、お骨を固めて作った仏像が安置されています。山門の仁王さんがでかいフィギアっぽさを醸し出しています。
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境内の建物がえらく近代的。大阪の珍寺として「珍寺大道場」という日本全国の珍寺ばかり集めたサイトにも紹介されていました。
けれどもお参りしている人はすごく信仰心に溢れていました。お骨でできた仏様をおまつりする納骨堂は参拝客のお供えする線香の煙が絶えません。仏像は4体ほど安置されてしました。白っぽい仏さんでした。白木の箱を持ってお参りにきた人がいたけど、受付で納骨して仏像に生まれ変わるそうです。

お寺を散歩してから本屋に寄ろうと思ったけどバスの時間が迫ってきたので帰りました。久々に街に出るのも結構面白いものですな。

奈良県 大宇陀・菟田野

先日東吉野へ行きましたが、東吉野村へ向う途中に大宇陀という城下町跡があります。伊勢街道沿いに栄え、立派な商家がよく残っている古い町並みです。
この大宇陀の町並みの入り口にある「道の駅大宇陀」から国道166号線を行ったところが菟田野で、ここを流れる芳野川に沿って古市場という町並みが残されています。(さらに東に進むと伊勢に出ます。)

いままで大宇陀はちょくちょく訪れていたのですが、菟田野古市場に関しては全く行った事がなかったので、今日は散歩がてらぶらっと寄ってみました。

古市場の中心には本殿が国宝に指定されている宇太水分神社があります。20070317191908.jpg
水分と書いて「みくまり」と読むのですが、田んぼに水を分配(水を配る)するのに関係しています。この神社も横を流れる芳野川の水を分配するためにあるのでしょう。

菟田野の古市場はもともとこの宇太水分神社の門前市場として栄えました。伊勢へ行く人達や商人で大変賑わったので大宇陀にも負けないぐらいの立派な商家が軒を連ねています。
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この辺でお隣の大宇陀の話になります。
大宇陀にはもともと秋山氏という勢力者がいてここを治めていました。ところが、関ヶ原の戦いのちょっと前に大和郡山にやってきた豊臣秀長が秋山氏を伊賀に追放してしまいました。
その後、関ヶ原の時に(1600年)伊勢から福島氏が入り、大宇陀を本格的な城下町にし、商業の中心としました。そんなこんなで宇太水分神社の門前市場の繁栄は大宇陀に移ってしまい、その後神社前の市場はかつて栄えたという事から「古市場」と呼ばれるようになって現在に至ります。

古市場は今でも人が生活している町です。
道のゆるやかなカーブに沿って虫籠窓のある二階建ての元商家が並んでます。軒下で小さな子供らが遊んでたりしててのんびりした風景。セキレイや背の青くて腹が柿色な鳥が道脇でちょこちょこ歩いています。
芳野川の横にうだつのあがるすさまじく立派な家があったけど一体何屋さんなのだろう。想像もつかない。20070317192010.jpg


お昼は菟田野の山の中にある青蓮寺という寺でお弁当を食べました。こじんまりしてるけど大変庭の手入れが行き届き、さっぱりした感じの良い尼寺です。中将姫にゆかりがあるそうな。
そんなことはさておき、ここで飼われている犬が可愛かった。コロコロしたおとなしい柴犬ですが、人懐こくてなかなかの愛嬌モノ。ちゃんとお手が出来ません。20070317191841.jpg
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お寺にコロッとした犬や太った猫がいるのは嬉しいものです。20070317191740.jpg


犬と遊んでのんびりしたり、芳野川の水分神社の元締めみたいな惣社水分神社行ったり、なぜか室生の竜穴神社の前で取り付かれたように眠ったりしてるうちに夕方4時になってしまいました。

帰りに大宇陀の町並みも見たくなったので立ち寄りました。大宇陀は吉野葛の製造の4割を占めているそうです。時間が遅くて閉まってたけど吉野葛の製造を見学できる森野旧薬園もあります。
日没時の大宇陀の町を描きました。20070317191940.jpg

今日は東吉野以上に寒かった。もうコンテが持てませぬ。気がついたら辺りは真っ暗でした。



滋賀県 高島市マキノ町在原・海津の町並み

大学時代の友達と一緒に滋賀県高島市マキノ町の町並みを訪れました。
マキノは琵琶湖の西側の最北部に位置します。さらに北に進むと福井県の敦賀に出ます。日本で一番初めに名前がカタカナになった町だそうですがなんでそうしたんだろう。
今日一緒に行った友達は、先日和歌山県串本町大島の水門祭りに行った時も付き合ってくれた遠出仲間です。

今日の目的は、西日本随一の規模を誇ると言われる藁葺き民家が残る在原集落と琵琶湖の水運を利用して江戸時代商業が栄えた海津の町並みを訪れる事です。前日ぐずついた天気も出発の時は晴れ間が見え今日は大丈夫だろうと気楽に出発しました。

町の中心部から約9kmほど山の中に行くと在原です。
こちらは在原に向う途中のメタセコイアの並木。(1994年に「新・日本の街路樹百景」にも選定。)この辺でちょっと雪が降り始める。
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在原に到着した時は吹雪のようになっていました。私にとっては初雪です。そして今年一番の寒さでした。20070312220634.jpg

去年、京都の美山町を訪れた時も藁葺き屋根の家がたくさん残る風景に驚きましたが、こちらも藁葺き民家がたくさん残っていました。これだけたくさんの貴重な藁葺き民家が残っているのに重建地区に指定されていなのが不思議なくらいです。
去年岐阜の白川郷に行ったけど多くの藁葺き民家が観光客用の土産物屋になっていてモノが良い分ちょっとがっかりしました。(五箇山の相倉・菅加はすごく良かった。)在原はその点、昔からの農村の風景がとてもよく残っている気がします。でもシーズンになったらたくさん人が来るのでしょうか、よそから来た客にマナーを守ってくださいという注意書きの看板がありました。20070312220647.jpg

雪を溶かすために道路中央からスプリンクラーみたいに水が噴射されています。うっかりすると足がびしょぬれ。
積もった雪からフキノトウも顔を出していました。20070312220537.jpg
村を散策している間に雪の降る量が増えていって、気が付いたら私たちにも雪が積もっていました。顔に当たる雪が冷たくて痛い。

結局、絵の道具を持ってきたけど余りに雪が冷たくて痛いので描きませんでした。根性ないわ。

次に寄った海津の町は春になると琵琶湖のほとりの桜が美しいらしく、たくさんの人が集まります。去年ここを春に通りかかったときは交通規制をしていました。けれど今日は桜もないし痛いほど寒いので人が全くいません。
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琵琶湖の水はよく澄んでいて湖畔の小石も清らかでした。水鳥が水面にたくさん浮いていました。寒くないのかな。

水害に備えて湖岸は石垣で保護されています。たくさんの水鳥が羽を休ませていました。でも近寄ると全部逃げた。20070312220617.jpg


湖西の町を訪れた後、他に良さそうな神社仏閣があれば立ち寄ろうと思っていましたが案外なくて、今日はそのまま帰ってきてしまいました。根性で一枚でも描けばよかったな。

それにしても、友達と串本に行った時はぽかぽか陽気で梅も満開。桜も今にも咲きそうで(その後太地に行った時は山桜が満開でした)真っ青な海とパパイヤやソテツの風景が心に残りましたが、滋賀北部は春といえども雪景色。木の芽や水仙のつぼみもまだ固いのがとても対照的です。
同じ時期に和歌山に200キロ行くのと滋賀に200キロ行くのとでこんなに風景や気候が変わるのは面白いと思います。


奈良県 東吉野村の町並み

今日は奈良県東吉野村をふらっと散策しました。
数年前の夏、東吉野村に行きましたが川遊びの客もまばらでちょっと寂しい感じのする町並みがなんとなく心に残っていました。この前の伊勢旅行の帰り、夜の東吉野村を通って帰りましたが電灯もあまりない暗い街道沿いに家の灯りが灯ってる景色を見てもう一度訪れてみようと思いました。
東吉野村は和歌山と伊勢へ行く街道が交わる場所としてかつて栄えた宿場町です。大きな旅籠跡やかつての繁栄を偲ばせる立派な民家が街道沿いに残っています。20070312220525.jpg
街道に沿って古くから栄えた町並みは道と民家に一体感があります。道路は舗装されて自動車が止まっていても歩いて旅をしていた頃の昔を想像できそうです。
よく観光地できれいになりすぎて土産物屋ばかりの映画のセットみたいになっている町並みがありますが、東吉野村の町並みは今も普通に人が住んでいて町並みが呼吸をしている感じ。近代的な建物は村役場ぐらい。丸ポストや古い看板など時代が昭和で止まったような雰囲気です。20070312220458.jpg



山々が迫ってくるような場所で平地がないためか田んぼはほとんどなく斜面に白菜や水菜といった野菜やお茶が植わっていました。林業が盛んらしく製材所が多くあり、挽いた木を運ぶ軽トラによく出会いました。20070312220512.jpg


ところで、ここ東吉野村は天誅組の終焉の地でもありニホンオオカミが最後に捕らえられた場所でもあります。

幕末、長州系攘夷派浪士が大和行幸で孝明天皇に攘夷親征の詔勅を発せさせようと計画していましたが、実行寸前で長州に倒幕の実権を握られるのを恐れた薩摩藩が一時的に佐幕派になり、会津藩と手を組んで長州系の公家を失脚させた上、長州系浪士を京都から追い出してしまいました。もちろん大和行幸も中止。このクーデターが起こる前にいち早く奈良を京都のものにしようと突っ走ってしまったのが天誅組です。
奈良五條で挙兵、この時点でクーデターによる大和行幸中止により拠り所を失ってしまいます。そして高取城で敗走、伊勢方面へ脱出を図る途中東吉野で最後を迎えます。

東吉野村ではいたるところに石碑が立っていましたが近寄ってみると全部天誅組志士たちの戦死した場所との説明書きがしてありました。
村の観光案内版にも天誅組戦死場所が11件ほど記載されています。観光案内に「戦死場所」の文字はちょっと暗い。
こちらは吉村寅太郎の討死の石碑。20070312232206.jpg

ニホンオオカミのブロンズ像もあるけど普通のワンワンに見える。観光地としては人は集まりにくいだろうなぁ。私は東吉野の飾らないひっそりとした雰囲気大好きだけども。

日が落ちる前に橋の下で絵を描きました。
ラムネ瓶の色をした川に三寸ほどのニジマスが一匹泳いでいました。
膝が寒さでガクガクになって手の感覚がなくなるぐらい寒かった。20070501202430.jpg


帰りはすっかり暗くなっていました。暗くなると山々が大きな黒い影になってさらに迫ってくる感じがしました。街道の民家からもれるオレンジ色の灯りを見るとなんかほっとしました。


寝る前

昨日啓蟄だったのに今日はいきなり冷え込みました。朝は霜がおりていました。
ニカワも少し置いておくだけでプルンプルンに固まっています。描くのが夜だからしかたないなぁ。

寝る前の数時間は貴重です。お世話になった先生が「社会に出てから一日3時間絵を描こうと思ったら一日中他の仕事をしないといけない。」とおっしゃっていたのを思い出しました。
私も今までもっと時間を大切にして描いていたらもっとマシになっていただろうに。金剛座寺のご住職も「寝る前の一時間を大切に使ってそれを20年続ければ始めの頃よりずっと良くなっているものです。」とおっしゃってました。

地道に長く続けるのって大変なことだなと今になって思っています。
・・・・後、お金かかる。
先週絵の具買いにいけなかったから週末買いに行かねばならぬ。お財布はペコペコです。

ツチノコ

また鯵のひらきをもらいました。
前に描いたのは頭はそのままで胴体が開かれたものでしたが、今日もらったのは頭までひらきになっていました。早速描きました。20070307002424.jpg

正面から見るとツチノコのような顔に見えて面白かった。

奈良県五条市 賀名生梅林・五條の町並み

奈良県五條市西吉野町の賀名生(あのう)梅林と五條の古い町並みを訪れました。

賀名生梅林は南北朝時代の南朝ゆかりの梅の名所です。20070304002749.jpg

梅の名所といえば和歌山県日高郡の南部梅林や奈良県の月ヶ瀬梅林が有名です。南部も月ヶ瀬もどちらも梅の風景が広々と広がってきれいですが、賀名生梅林の山襞が薄桃色で染められた奥行きのある風景が好きなので梅の季節になると毎年ここを訪れています。

賀名生は南北朝時代一時的に南朝の拠点とされていたそうです。鎌倉幕府を倒し天皇中心の政治を目指した後醍醐天皇が光明天皇を推す足利尊氏と対立し北朝(京都)と南朝(奈良)に分かれて戦ったのが南北朝時代だったような気がしますが、賀名生には京都を逃れてきた後醍醐天皇が滞在した屋敷も残っています。(後醍醐天皇は吉野山で志半ばで亡くなります。)20070304002655.jpg

この地域はもともと「穴生(あなふ)」と呼ばれていましたが後醍醐天皇の次に即位した後村上天皇が南朝が正統であってほしいという思いから「叶名生(かなふ)」と名付けたそうです。その後、足利氏が南朝に帰順し北朝が否定されたので後村上天皇は「願いが叶って目出度い」ということで「賀名生」と字を改めたとのこと。

梅はちょうど五分咲きでした。20070304002805.jpg

賀名生梅林の道は結構急な上、画材道具を持ち歩いてたので足がジワーンとなりました。どっかいいところでスケッチしようと思ったけど「ここいいな!」と思った場所にNHKの無人中継カメラが置いてありました。梅林と青く霞む山々を見渡すきれいな風景だったけど、NHKと同じ場所の中継プレイはなんか嫌だったので(NHKが嫌いな訳じゃないよ)他の場所を探して梅を愛でているうちに下山してしまいました。
だめじゃん。

ところで賀名生梅林の近くにはトンネルや陸橋がある不思議なバス専用道路があります。20070304002714.jpg

これはかつて電車で和歌山線五条駅から紀勢本線新宮を繋ごうとして結局実現しなかった五新鉄道の廃線跡です。カンヌ映画際で新人賞を受賞した「萌の朱雀」もこの地を舞台にしています。主人公のみちるが毎日利用していたバス停もここ賀名生停留所です。バスの時刻表を見ると一日3便でした。今でも運行しているのかな。梅林前の道路は梅林へ行く人などで賑やかでしたがここは忘れられた寂しい感じ。トンネルも真っ暗で廃墟というより遺跡のようでした。

ちょっと雲行きが怪しくなり雨もぽつぽつ降り始めてきたので賀名生梅林を昼過ぎに後にしました。このまま帰るのもなんなので五條の古い町並みを久々に訪れました。

五條は伊勢街道と紀州街道が交わる地点で宿場町として発展しました。江戸時代以降は幕府の天領として代官所が置かれていました。幕末、尊皇攘夷派の天誅組が高取城を攻める前に襲ったのもここ五條の代官所でした。
町のいたるところに立派な民家が残っています。20070304002847.jpg

けれど、ちょっと路地に入ると晩ご飯の肉じゃがを炊くにおいや洗濯のシャボンのにおい、子供の声がしてなかなか生活感があります。

寺の向かいに洗濯のにおいがする小川を挟んで古い民家が立ち並ぶ風景がありました。気に入ったので描きました。
橋の下で絵を描いていると上から「ちょっと失礼。上から拝見します。」という声が聞こえたので見上げると、欄干の間から柴犬が顔を出して私を見下ろしていました。犬がしゃべった!とちょっとびっくりしたけど声の主は犬を散歩していたおじさんでした。

そうこうしているうちに駐車場が閉まってしまい、辺りが暗くなってきたので引き上げました。もうちょっと描きたかった。20070304002904.jpg


あと、これクマが見つけた五條の眼科。こういうの好き。
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中途半端100号下書き

中途半端100号に描いているのは去年、奈良の仏隆寺近くで描いた土壁の小屋です。20070302000852.jpg

ちょっとした石垣に小屋があるだけといった風景でしたがなんか心に引っかかるものがありました。心をこめてしっかりまじめに取り組んで行きたいです。

今部屋中のもの(といっても本棚と二段ベットしかない)にうっすら木炭が積もっています。けれどもまだくしゃみは出ていません。

あと、絵を立てて描く時はコンテナの便利さを再確認します。

お雛様

もうすぐ桃の節句なのでお雛さんを飾りました。
お雛さんは私が生まれて初めて迎えた桃の節句にやってきたのもです。お雛さんのようなおしとやかな女性に育って欲しいという両親の願いとは裏腹に元気いっぱいに育ってしまいました。
うちのお雛さんは大和雛なのでまん丸なお顔です。顔の丸さだけはお雛さんに似ました。20070301002426.jpg

母が「娘が成長してこうして一緒にお雛さんを飾れるのはうれしいことやなぁ。」

飾り終わってぼんぼりに灯りを燈すとなんだか部屋が華やかな雰囲気になりました。

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ヨンボルゲン

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週末は近畿圏内をうろうろしています。
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