京都府 嵯峨鳥居本・高山寺
大自然に触れたいと言ったら京都の高山寺に連れて行ってくれました。
3年ほど前の秋、高山寺の近くの神護寺にバスに乗って出かけました。本尊の薬師如来立像を是非拝観したかったからです。でも薬師如来は暗くて遠い所に安置されていて全然見えないし、紅葉はきれいだけど人が多いし、バスは超満員だし、道は超渋滞で地獄の日々でした。高山寺にも足を伸ばす予定だったけど疲れ果ててダメでした。
もう二度とこんな目には会いたくないと念じて3年経ちました。
鮎釣りを楽しむ人を見かける桂川の側を通って、涼しそうな渡月橋の近くも通って、清涼寺の前も通って鳥居本まで来ました。鳥居本から嵐山高雄パークウェイという有料道路を通って高山寺に行くつもりです。
ついでだから鳥居本でお昼を食べてうろうろしました。
鳥居本も実に4年ぶりです。前に来たのは確か晩秋でした。小雨の降る中鳥居本の町並みを歩いて化野念仏寺まで行きました。近くのバス停で、ミカンを食べながら帰りのバスを待っていると、犬がやってきて一緒にミカンを食べたのを思い出しました。なんであの時ミカンなんか持っていたんだろう。
久々の鳥居本は、垢抜けた感じのみやげ物屋やギャラリー喫茶店があって前来た時とあまり変化はありませんでした。みやげ物屋を観光客に混じりつつひやかしながら歩きました。
お店が多いせいか生活感というのはあまりありません。もう少し人が住んでる人臭さがある方が個人的には好きです。
嵐山高雄パークウェイを通って高山寺に向う途中、途中に展望台があります。山頂からは保津川下りを楽しむ人や保津峡の流れが見えました。山はこんもりしていて撫でたくなるくらい丸っこい。
途中の公園と池のある広場にオモチャみたいなのや、古い車がずらっとならべて駐車していました。車の集会か。
乗ってきた人達はどこにも見あたりません。一緒に居た友達が嬉しそうに車の周りをうろうろする様はまるで不審者だ。今日は道でこれ系の車とよくすれ違います。京都では流行っているのかなぁ。
高山寺は石段を登らないと行けないので車はふもとに置きました。バイクのツーリングの人が駐車場に結構いました。
さすがに高山寺まで来るとひんやり涼しい。汗が一気に引きました。でも山門から続く石段を登るとやっぱり汗だくになってしまいました。地面を覆いつくすほどのビロードのような苔がきれい。
たどり着いた金堂はひっそりとして全く静かでした。金堂の石垣に参拝客が積んだのであろう、石を積み上げた小さな山がありました。金堂の裏手にはきれいな水をたたえた井戸があって、脇には湧き水の小川が流れています。
国宝の石水院も拝観したけど、どちらかというと参道の苔むした佇まいの方が好きです。石水院、バイクのツーリングの音がちょっと気になった。
境内は水が豊かなので色んな種類のキノコがたくさん生えています。
立派なチチタケがあったので触るとポキッと折れました。手がチチタケの汁まみれになってしまいました。こんなに汁が出るキノコとは思いもよりませんでした。
今日は別に大自然って感じはなかった。
3年ほど前の秋、高山寺の近くの神護寺にバスに乗って出かけました。本尊の薬師如来立像を是非拝観したかったからです。でも薬師如来は暗くて遠い所に安置されていて全然見えないし、紅葉はきれいだけど人が多いし、バスは超満員だし、道は超渋滞で地獄の日々でした。高山寺にも足を伸ばす予定だったけど疲れ果ててダメでした。
もう二度とこんな目には会いたくないと念じて3年経ちました。
鮎釣りを楽しむ人を見かける桂川の側を通って、涼しそうな渡月橋の近くも通って、清涼寺の前も通って鳥居本まで来ました。鳥居本から嵐山高雄パークウェイという有料道路を通って高山寺に行くつもりです。
ついでだから鳥居本でお昼を食べてうろうろしました。

鳥居本も実に4年ぶりです。前に来たのは確か晩秋でした。小雨の降る中鳥居本の町並みを歩いて化野念仏寺まで行きました。近くのバス停で、ミカンを食べながら帰りのバスを待っていると、犬がやってきて一緒にミカンを食べたのを思い出しました。なんであの時ミカンなんか持っていたんだろう。
久々の鳥居本は、垢抜けた感じのみやげ物屋やギャラリー喫茶店があって前来た時とあまり変化はありませんでした。みやげ物屋を観光客に混じりつつひやかしながら歩きました。
お店が多いせいか生活感というのはあまりありません。もう少し人が住んでる人臭さがある方が個人的には好きです。
嵐山高雄パークウェイを通って高山寺に向う途中、途中に展望台があります。山頂からは保津川下りを楽しむ人や保津峡の流れが見えました。山はこんもりしていて撫でたくなるくらい丸っこい。
途中の公園と池のある広場にオモチャみたいなのや、古い車がずらっとならべて駐車していました。車の集会か。

乗ってきた人達はどこにも見あたりません。一緒に居た友達が嬉しそうに車の周りをうろうろする様はまるで不審者だ。今日は道でこれ系の車とよくすれ違います。京都では流行っているのかなぁ。
高山寺は石段を登らないと行けないので車はふもとに置きました。バイクのツーリングの人が駐車場に結構いました。
さすがに高山寺まで来るとひんやり涼しい。汗が一気に引きました。でも山門から続く石段を登るとやっぱり汗だくになってしまいました。地面を覆いつくすほどのビロードのような苔がきれい。

たどり着いた金堂はひっそりとして全く静かでした。金堂の石垣に参拝客が積んだのであろう、石を積み上げた小さな山がありました。金堂の裏手にはきれいな水をたたえた井戸があって、脇には湧き水の小川が流れています。

国宝の石水院も拝観したけど、どちらかというと参道の苔むした佇まいの方が好きです。石水院、バイクのツーリングの音がちょっと気になった。
境内は水が豊かなので色んな種類のキノコがたくさん生えています。
立派なチチタケがあったので触るとポキッと折れました。手がチチタケの汁まみれになってしまいました。こんなに汁が出るキノコとは思いもよりませんでした。
今日は別に大自然って感じはなかった。
京都府 南山城らへん1 神童寺
京都の南山城あたりのお寺を訪ねました。
この奈良県の県境に近いこのあたりには、美しい静かなお庭のある浄瑠璃寺や国宝の五重塔で有名な海住山寺、カニの恩返しの昔話の蟹満寺などといった雰囲気のいいお寺があります。でもさらに調べてみるとまだ行ったことのない良さそうなお寺がたくさんありました。
今日はその中の神童寺、観音寺、一休寺を訪れました。
なんか今日は梅雨入り前なのか降ったり晴れたりの不思議な天気です。高速道路では前が見えなくなるくらいの土砂降りの雨が降りましたが、神童寺に着く頃にはすっかり雨が上がってきれいな青空が見えました。
神童寺は蔵王権現を本尊とする修験道のお寺です。室町時代に建てられた本堂は重文。収蔵庫には阿弥陀如来坐像や愛染明王坐像といった重文指定の仏像がたくさん安置されています。
お寺の参道は狭くて車の駐車は難しかったので、お寺から少しいった神社の前の道にギリギリで車を止めて散策がてらお寺へ行く事にしました。参道の道端には小川が流れていて、澄んだ水の中に沢蟹やらタニシやらを見つけました。参道沿いの家も時代のたったものらしく、めぐらされた土塀や石垣、門が参道と一緒に歳を重ねている感じ。石垣の隙間からドクダミが白い花をいっぱいつけています。ホタルブクロもたくさん咲いていました。
古い石造りの階段を登ると神童寺の山門です。ちょうど通ってきた参道を見渡す感じです。本堂は現在修復中という事でビニールシートに覆われて中を拝観する事は出来ませんでした。と言う訳で今日は収蔵庫のみの拝観です。
収蔵庫は本堂の横を通りかなり奥まった所にありました。収蔵庫への石段の続く緩やかな坂道の脇には石仏をおまつりしてあります。こんもりとした杉苔やイワヒバに似た緑青色の羊歯が茂っていて脇見しながら道をたどるのは楽しい。
お寺の人に収蔵庫の鍵を開けてもらって中に入るとたくさんの仏像が安置されていました。
ちょっと下膨れなお顔な日光・月光菩薩や穏やかなお顔の阿弥陀如来坐像、迫力満点の前鬼、後鬼に守られた役行者像の他、天に矢をつがえた珍しいスタイルの愛染明王像をじっくりと拝観する事が出来ました。外ではホトトギスがしきりに鳴いてます。
収蔵庫から戻る途中、行者の滝近くに古い十三重の石塔を見つけました。石塔の元もフカフカの杉苔が饅頭みたいに茂っています。思わず撫でてしまいました。傍らには立派なイチョウの木があります。下を見ると杉苔の上に青い銀杏が落ちて乗っかっていました。
本堂は修復中だったけど、この静かな佇まいに本堂があったらもっと素晴らしいことであろう。修復が終わったらまた是非訪れたいと思いました。
この奈良県の県境に近いこのあたりには、美しい静かなお庭のある浄瑠璃寺や国宝の五重塔で有名な海住山寺、カニの恩返しの昔話の蟹満寺などといった雰囲気のいいお寺があります。でもさらに調べてみるとまだ行ったことのない良さそうなお寺がたくさんありました。
今日はその中の神童寺、観音寺、一休寺を訪れました。
なんか今日は梅雨入り前なのか降ったり晴れたりの不思議な天気です。高速道路では前が見えなくなるくらいの土砂降りの雨が降りましたが、神童寺に着く頃にはすっかり雨が上がってきれいな青空が見えました。
神童寺は蔵王権現を本尊とする修験道のお寺です。室町時代に建てられた本堂は重文。収蔵庫には阿弥陀如来坐像や愛染明王坐像といった重文指定の仏像がたくさん安置されています。
お寺の参道は狭くて車の駐車は難しかったので、お寺から少しいった神社の前の道にギリギリで車を止めて散策がてらお寺へ行く事にしました。参道の道端には小川が流れていて、澄んだ水の中に沢蟹やらタニシやらを見つけました。参道沿いの家も時代のたったものらしく、めぐらされた土塀や石垣、門が参道と一緒に歳を重ねている感じ。石垣の隙間からドクダミが白い花をいっぱいつけています。ホタルブクロもたくさん咲いていました。

古い石造りの階段を登ると神童寺の山門です。ちょうど通ってきた参道を見渡す感じです。本堂は現在修復中という事でビニールシートに覆われて中を拝観する事は出来ませんでした。と言う訳で今日は収蔵庫のみの拝観です。

収蔵庫は本堂の横を通りかなり奥まった所にありました。収蔵庫への石段の続く緩やかな坂道の脇には石仏をおまつりしてあります。こんもりとした杉苔やイワヒバに似た緑青色の羊歯が茂っていて脇見しながら道をたどるのは楽しい。

お寺の人に収蔵庫の鍵を開けてもらって中に入るとたくさんの仏像が安置されていました。
ちょっと下膨れなお顔な日光・月光菩薩や穏やかなお顔の阿弥陀如来坐像、迫力満点の前鬼、後鬼に守られた役行者像の他、天に矢をつがえた珍しいスタイルの愛染明王像をじっくりと拝観する事が出来ました。外ではホトトギスがしきりに鳴いてます。
収蔵庫から戻る途中、行者の滝近くに古い十三重の石塔を見つけました。石塔の元もフカフカの杉苔が饅頭みたいに茂っています。思わず撫でてしまいました。傍らには立派なイチョウの木があります。下を見ると杉苔の上に青い銀杏が落ちて乗っかっていました。

本堂は修復中だったけど、この静かな佇まいに本堂があったらもっと素晴らしいことであろう。修復が終わったらまた是非訪れたいと思いました。
京都府 南山城らへん2 神童寺・一休寺
神童寺を後にして京田辺市へ。
国宝の十一面観音の安置されている観音寺を次に訪れました。近くに同志社大学がありました。
縁起によると「1300年前、聖武天皇の勅願により義淵僧正が開基し、ついで聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築した」と書かれていました。お寺が建立されてから数々の戦乱で燃え、今はポツンと大御堂を残すのみとなっています。大御堂の周りの池は昔のものなんでしょうか。
地図を見ると観音寺の元である普賢寺の地名が残っています。昔はこの地域一帯は普賢寺グループのお寺がたくさんあったのでしょう。

大御堂の前の受付とうかお家のブザーを鳴らすとご住職の奥さんらしき人が現れ、ご住職は拝観の方と一緒にちょうど大御堂へ行かれたとのこと。私たちも便乗して大御堂へ向いました。
大御堂には上品な感じのおばあさんとお孫さんらしき方がいて、おばあさんは熱心に観音さんを拝んでいます。ご住職の説明によると十一面観音は天平時代に造られた木心乾漆像で造られてから千年以上も経っているとの事でした。
厨子から観音さんの斜めからのお姿が見えましたが、ドキリとするほど美しかった。
ふくよかで優しいお顔や伸びやかで肉付きがいいけどキュッとしまった感じの体の表現、すらっとしたきれいな指、なんともいえない美しい観音さんでした。血が通っていてぬくもりまで感じそうです。ひび割れもほとんどなく欠損もない完全な形で、こんな素晴らしい観音さんが今まで守られてきた事に感動しました。
ご住職は「これだけの美しい像は奈良の興福寺に行かないといらっしゃらないでしょう。」とおっしゃっていました。ご住職ご自身がこの観音さんをとても大切にしている気持ちが伝わってきます。
観音さんを熱心に拝んでいたおばあさんは、30年前に見たこの観音さんの姿が忘れられず東京からはるばるやってきたとおっしゃっていました。私も仏像で感動したのは久々です。たぶん私もこの観音さんに会いに、また観音寺を訪ねそうな気がする。
これ、観音寺の庭の楓の木にくっついていた毛虫です。
最後に一休寺に着いたのは夕方頃。元の名は妙勝寺で鎌倉時代に建てられた臨済宗のお寺だったそうです。その後、戦火で衰退していた所を室町時代に入り一休禅師が再興したとのこと。一休禅師が晩年を過ごしたお寺として有名です。
手入れの行き届いた苔と石畳が山門から続いています。雨上がりで苔も楓の木の葉もしっとりした緑です。石畳から日に照らされて靄がかっていました。
方丈ではアニメの一休さんのセル画風なのが飾っています。一休禅師の頂相とアニメの一休さんとでは顔に凄い隔たりを感じる。
名勝指定の方丈庭園はもちろん良かった。でも境内の奥に続く不気味な一休さんの銅像が道の脇にずらっと建ってる「一休の森」が非常に気になりました。一歩足を踏み入れたけど一休さん達の目がキテたので怖くなって止めました。
南山城らへんのお寺は修験道のお寺があったり、禅のお寺があったり、素晴らしい仏像があったりで面白い。こんどもまたじっくりまわろうと思いつつ家へ帰りました。
国宝の十一面観音の安置されている観音寺を次に訪れました。近くに同志社大学がありました。
縁起によると「1300年前、聖武天皇の勅願により義淵僧正が開基し、ついで聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築した」と書かれていました。お寺が建立されてから数々の戦乱で燃え、今はポツンと大御堂を残すのみとなっています。大御堂の周りの池は昔のものなんでしょうか。
地図を見ると観音寺の元である普賢寺の地名が残っています。昔はこの地域一帯は普賢寺グループのお寺がたくさんあったのでしょう。

大御堂の前の受付とうかお家のブザーを鳴らすとご住職の奥さんらしき人が現れ、ご住職は拝観の方と一緒にちょうど大御堂へ行かれたとのこと。私たちも便乗して大御堂へ向いました。
大御堂には上品な感じのおばあさんとお孫さんらしき方がいて、おばあさんは熱心に観音さんを拝んでいます。ご住職の説明によると十一面観音は天平時代に造られた木心乾漆像で造られてから千年以上も経っているとの事でした。
厨子から観音さんの斜めからのお姿が見えましたが、ドキリとするほど美しかった。
ふくよかで優しいお顔や伸びやかで肉付きがいいけどキュッとしまった感じの体の表現、すらっとしたきれいな指、なんともいえない美しい観音さんでした。血が通っていてぬくもりまで感じそうです。ひび割れもほとんどなく欠損もない完全な形で、こんな素晴らしい観音さんが今まで守られてきた事に感動しました。
ご住職は「これだけの美しい像は奈良の興福寺に行かないといらっしゃらないでしょう。」とおっしゃっていました。ご住職ご自身がこの観音さんをとても大切にしている気持ちが伝わってきます。
観音さんを熱心に拝んでいたおばあさんは、30年前に見たこの観音さんの姿が忘れられず東京からはるばるやってきたとおっしゃっていました。私も仏像で感動したのは久々です。たぶん私もこの観音さんに会いに、また観音寺を訪ねそうな気がする。
これ、観音寺の庭の楓の木にくっついていた毛虫です。

最後に一休寺に着いたのは夕方頃。元の名は妙勝寺で鎌倉時代に建てられた臨済宗のお寺だったそうです。その後、戦火で衰退していた所を室町時代に入り一休禅師が再興したとのこと。一休禅師が晩年を過ごしたお寺として有名です。
手入れの行き届いた苔と石畳が山門から続いています。雨上がりで苔も楓の木の葉もしっとりした緑です。石畳から日に照らされて靄がかっていました。

方丈ではアニメの一休さんのセル画風なのが飾っています。一休禅師の頂相とアニメの一休さんとでは顔に凄い隔たりを感じる。
名勝指定の方丈庭園はもちろん良かった。でも境内の奥に続く不気味な一休さんの銅像が道の脇にずらっと建ってる「一休の森」が非常に気になりました。一歩足を踏み入れたけど一休さん達の目がキテたので怖くなって止めました。
南山城らへんのお寺は修験道のお寺があったり、禅のお寺があったり、素晴らしい仏像があったりで面白い。こんどもまたじっくりまわろうと思いつつ家へ帰りました。
京都府 清水寺と八坂の塔界隈
今日は京都の超観光スポットを散策です。
豊臣秀吉の妻「ねね」ゆかりの高台寺をメインに時間が許す限りその辺をうろうろ。
六道珍皇寺近くの駐車場に車を置き、正面に見える八坂の塔を目指して道路を渡ります。今日はいい天気なので青空をスキっと切り取ったみたいな塔の黒い屋根がかっこいい。
いつもは塔を眺めるだけで素通りだけど、塔の柵近くに夏みかんが並べられてるのが気になって拝観する事にしました。
塔の周りには牡丹が何株か植わっていて、牡丹の薄桃色や赤紫、濃い赤が塔の黒茶色によく映えていました。
若いモミジの葉もフサフサと茂り、根元を覆う苔に緑の柔らかな影をおとしています。
八坂の塔は正式な名を「法観寺」といい、東山一帯のシンボル的存在です。聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げで五重塔を建て、仏舎利を納めたのが始まりだそうです。
塔の小さな入り口から中に入ると、ひんやりした薄暗い中に大日如来をはじめとする仏像が安置されていました。
仏像の周りは群青、朱、黄土、緑青など色とりどりの装飾、仏画が描かれていました。いつ描かれたものか時間を経て少し彩色が風化しています。濃いところや薄い所、下地が見えたところなど色々な表情があって美しかった。光が差すと、薄暗い中で壁に塗られた黄土の彩色や仏さんの肌の金色が輝いて見えます。なかなか神秘的な光景。
八坂の党は内陣を公開している他、階段を登って二階に上がることが出来ます。
急な狭い細い階段を手すりをしっかり握り締めつつ上によじ登っていきます。ちょっと上がると中央に立つ心柱としっかりと組まれた太い木を目の当たりにします。中ごろには上向きに置かれた鏡が置いてあり、塔を貫く心柱の上層部まで見ることが出来ます。
今までいろんな三重塔や五重塔を見てきましたが、塔の骨組といった内部構造を見るのは全く初めてです。
この階は、塔一階の神秘的な雰囲気とはがらりと違い、まったく飾り気のない迫力のあるしっかりした力強さを感じます。
びしっと組まれた木の中は人が数人しかいられないような狭さです。でも木や心柱に建物の重みがかかっていて、それをしっかり支えているという感じが伝わってきます。力や圧力が目に見えるみたいだ。
塔の二階からは京都の町並みが見渡せます。遅咲きの桜がやや散りかけながらも満開でした。
塔から出て、上を何となしに見上げると茶室の前に背の高い夏みかんの木があって、たくさんの実をつけていました。外から見えた夏みかんはこの木から落っこちたものみたいです。
柵ごしに見える、京都の石畳と数奇屋のしゃれた風景にぼってりした夏みかんが数個並んでるのはユーモラスで良い。
八坂の塔の参道沿いは土産物屋に混じって、昔ながらの小さな豆腐屋さんがあったりで生活感が結構あります。そんな中でも思わず立ち寄ってしまうのが庚申堂です。
びんずるさんや本堂の中には赤、黄、青のくくり猿がたくさんくくりつけられています。手足を縛られたくくり猿は人間の欲望を抑えた形を表しているとのこと。
びんずるさんの周りにぶら下がっているくくり猿を手に取ってみると、背中にめいめいのお願い事が書かれていました。
八坂の塔への道沿いの家の軒先には、このくくり猿が何匹か連なってぶら下げられているのをよく見かけます。ならまちの庚申さんもそうだけど、町の中に庚申さんがあって賑やかにお参りされているのは、今でも信仰心が生きている感じがします。
そんなこんなで八坂の塔を後にして道なりに進んでいくと三年坂のふもとに出ました。石畳の階段に古風な料亭や土産物屋があって京都観光っぽさ全開です。
三年坂まで来るとさすがに観光客がいっぱい。関東からきたっぽい修学旅行客や外人で道はいっぱいです。標準語や韓国語、中国語に何か分からん言葉が飛び交っていました。清水寺の門前のお店は軒並み大繁盛でした。
清水寺の仁王門前は朱できれいに塗られてピカピカでした。
夕日を拝むために建てられた西門からは京都の町をよく眺める事が出来ました。
朱塗りの建物を見ながら奥に進むと轟門の受付に出ます。
本堂近くの轟門からはいきなり建物が渋い黒になります。回廊から見えるモミジの新緑がどこまでも広がっています。向こうに見える小さな塔は「子安の塔」とのこと。
これだけモミジがいっぱいあるのだから秋の紅葉は素晴らしい事でしょう。秋の清水寺が人でごった返すのが分かるような気がしました。でも現時点で人がいっぱい。
本堂の舞台も記念写真を撮影する人がいっぱいいました。舞台がやや下がって見えるのはようしてなのか、人の重みなのかは分かりません。でもこれだけ人が常にいるんだったら人の重みで下がってんのかな。
舞台から下を覗き込むと音羽の滝の水を汲む人の行列が見えました。これだけ上からだと誰がハゲなのかがよく分かる。
人の多い本堂周辺も子安の塔付近にまで来ると結構静かです。
清水寺はよく雑誌やテレビで見るので、有名な清水の舞台に実際に行っても観光寺という感じで、あまり新鮮さを感じませんでした
ただ、西国三十三所観音霊場第十六番札所ということもあり、本堂の中では背中に「南無観世音菩薩」と書かれた白い服をきた婆さんが熱心に拝んでいました。鉦の叩く音、お経を読む声が聞こえてそこだけは雰囲気が違いました。
清水寺は舞台から見えるモミジの風景や本堂の舞台、音羽の滝についつい目がいってしまいます。でも舞台を支える木組みや、シャガの花に囲まれてさりげなく残っている地蔵さんは歳月を感じて心に残りました。

今日のメインの高台寺は最後に行きました。
苔の美しい庭園や茶室はどれもモノは素晴らしかった。でも(今だけだと思うけど)庭に謎の現代美術風オブジェがあったり、ライトアップ用ライトがちょっと目に付いたりでなんか商売っ気を少し感じて残念でした。やたら広い駐車場と巨大観音像、おばちゃんの群れ以外あんまり覚えていません。
帰りに八坂の塔前の紅茶屋で一息入れました。
今日行ったところを振り返ってみると、今日は一番期待していた高台寺が期待はずれで、全く何の気なしに訪れた八坂の塔が良かったなぁという話になりました。
喫茶店の窓からは腕を広げたような八坂の塔の屋根が見えます。
歩きつかれて足がジワーンとするのを感じつつ飲む紅茶は美味しかった。
豊臣秀吉の妻「ねね」ゆかりの高台寺をメインに時間が許す限りその辺をうろうろ。
六道珍皇寺近くの駐車場に車を置き、正面に見える八坂の塔を目指して道路を渡ります。今日はいい天気なので青空をスキっと切り取ったみたいな塔の黒い屋根がかっこいい。

いつもは塔を眺めるだけで素通りだけど、塔の柵近くに夏みかんが並べられてるのが気になって拝観する事にしました。
塔の周りには牡丹が何株か植わっていて、牡丹の薄桃色や赤紫、濃い赤が塔の黒茶色によく映えていました。
若いモミジの葉もフサフサと茂り、根元を覆う苔に緑の柔らかな影をおとしています。
八坂の塔は正式な名を「法観寺」といい、東山一帯のシンボル的存在です。聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げで五重塔を建て、仏舎利を納めたのが始まりだそうです。
塔の小さな入り口から中に入ると、ひんやりした薄暗い中に大日如来をはじめとする仏像が安置されていました。
仏像の周りは群青、朱、黄土、緑青など色とりどりの装飾、仏画が描かれていました。いつ描かれたものか時間を経て少し彩色が風化しています。濃いところや薄い所、下地が見えたところなど色々な表情があって美しかった。光が差すと、薄暗い中で壁に塗られた黄土の彩色や仏さんの肌の金色が輝いて見えます。なかなか神秘的な光景。
八坂の党は内陣を公開している他、階段を登って二階に上がることが出来ます。
急な狭い細い階段を手すりをしっかり握り締めつつ上によじ登っていきます。ちょっと上がると中央に立つ心柱としっかりと組まれた太い木を目の当たりにします。中ごろには上向きに置かれた鏡が置いてあり、塔を貫く心柱の上層部まで見ることが出来ます。
今までいろんな三重塔や五重塔を見てきましたが、塔の骨組といった内部構造を見るのは全く初めてです。

この階は、塔一階の神秘的な雰囲気とはがらりと違い、まったく飾り気のない迫力のあるしっかりした力強さを感じます。
びしっと組まれた木の中は人が数人しかいられないような狭さです。でも木や心柱に建物の重みがかかっていて、それをしっかり支えているという感じが伝わってきます。力や圧力が目に見えるみたいだ。
塔の二階からは京都の町並みが見渡せます。遅咲きの桜がやや散りかけながらも満開でした。

塔から出て、上を何となしに見上げると茶室の前に背の高い夏みかんの木があって、たくさんの実をつけていました。外から見えた夏みかんはこの木から落っこちたものみたいです。
柵ごしに見える、京都の石畳と数奇屋のしゃれた風景にぼってりした夏みかんが数個並んでるのはユーモラスで良い。

八坂の塔の参道沿いは土産物屋に混じって、昔ながらの小さな豆腐屋さんがあったりで生活感が結構あります。そんな中でも思わず立ち寄ってしまうのが庚申堂です。
びんずるさんや本堂の中には赤、黄、青のくくり猿がたくさんくくりつけられています。手足を縛られたくくり猿は人間の欲望を抑えた形を表しているとのこと。

びんずるさんの周りにぶら下がっているくくり猿を手に取ってみると、背中にめいめいのお願い事が書かれていました。
八坂の塔への道沿いの家の軒先には、このくくり猿が何匹か連なってぶら下げられているのをよく見かけます。ならまちの庚申さんもそうだけど、町の中に庚申さんがあって賑やかにお参りされているのは、今でも信仰心が生きている感じがします。
そんなこんなで八坂の塔を後にして道なりに進んでいくと三年坂のふもとに出ました。石畳の階段に古風な料亭や土産物屋があって京都観光っぽさ全開です。
三年坂まで来るとさすがに観光客がいっぱい。関東からきたっぽい修学旅行客や外人で道はいっぱいです。標準語や韓国語、中国語に何か分からん言葉が飛び交っていました。清水寺の門前のお店は軒並み大繁盛でした。
清水寺の仁王門前は朱できれいに塗られてピカピカでした。
夕日を拝むために建てられた西門からは京都の町をよく眺める事が出来ました。
朱塗りの建物を見ながら奥に進むと轟門の受付に出ます。
本堂近くの轟門からはいきなり建物が渋い黒になります。回廊から見えるモミジの新緑がどこまでも広がっています。向こうに見える小さな塔は「子安の塔」とのこと。

これだけモミジがいっぱいあるのだから秋の紅葉は素晴らしい事でしょう。秋の清水寺が人でごった返すのが分かるような気がしました。でも現時点で人がいっぱい。
本堂の舞台も記念写真を撮影する人がいっぱいいました。舞台がやや下がって見えるのはようしてなのか、人の重みなのかは分かりません。でもこれだけ人が常にいるんだったら人の重みで下がってんのかな。
舞台から下を覗き込むと音羽の滝の水を汲む人の行列が見えました。これだけ上からだと誰がハゲなのかがよく分かる。
人の多い本堂周辺も子安の塔付近にまで来ると結構静かです。
清水寺はよく雑誌やテレビで見るので、有名な清水の舞台に実際に行っても観光寺という感じで、あまり新鮮さを感じませんでした
ただ、西国三十三所観音霊場第十六番札所ということもあり、本堂の中では背中に「南無観世音菩薩」と書かれた白い服をきた婆さんが熱心に拝んでいました。鉦の叩く音、お経を読む声が聞こえてそこだけは雰囲気が違いました。

清水寺は舞台から見えるモミジの風景や本堂の舞台、音羽の滝についつい目がいってしまいます。でも舞台を支える木組みや、シャガの花に囲まれてさりげなく残っている地蔵さんは歳月を感じて心に残りました。

今日のメインの高台寺は最後に行きました。
苔の美しい庭園や茶室はどれもモノは素晴らしかった。でも(今だけだと思うけど)庭に謎の現代美術風オブジェがあったり、ライトアップ用ライトがちょっと目に付いたりでなんか商売っ気を少し感じて残念でした。やたら広い駐車場と巨大観音像、おばちゃんの群れ以外あんまり覚えていません。
帰りに八坂の塔前の紅茶屋で一息入れました。
今日行ったところを振り返ってみると、今日は一番期待していた高台寺が期待はずれで、全く何の気なしに訪れた八坂の塔が良かったなぁという話になりました。
喫茶店の窓からは腕を広げたような八坂の塔の屋根が見えます。
歩きつかれて足がジワーンとするのを感じつつ飲む紅茶は美味しかった。
京都府 建仁寺とその周辺1・六波羅蜜寺と六道珍皇寺
和歌山、奈良の神社仏閣は行きやすい事もあり、普段からよく訪れています。でも京都はあんまり行きません。春や秋の観光シーズンは人が多くてあんまりゆっくり出来ないからです。そんなこんなで、実は清水寺も一度もお参りしたことがありません。
でも関西に住んでいながら、たくさんの素晴らしいお寺や古い町並み・文化財の残る京都に行かないのはもったいない。
桜の季節も終わったし、今ならちょっと空いてるかなぁと思いつつ建仁寺周辺をうろうろしました。この辺はいいお寺がたくさんあります。せっかくなので、建仁寺だけでなく近くの六波羅蜜寺と六道珍皇寺も行くつもり。
八坂神社の近くの駐車場に車をおいて、そこから五条方面に向って歩いていきます。桜の季節が終わったとはいえやっぱり八坂さん周辺はたくさんの観光客で賑わっていました。修学旅行の団体はもちろんのことリュックを背負った外人の観光客もたくさん見かけました。
建仁寺は最後に行く事にして、まずは六波羅蜜寺と六道珍皇寺へ。
六波羅蜜寺は平安時代中期に空也上人が開いたお寺で、西国第十七番札所礼場でもあります。
平安時代中期の京都は悪病が蔓延しており、空也上人は民衆を救うため、鉦を鳴らし念仏を唱えながら町を練り歩いたそうです。空也上人が刻んだと言われる十一面観音像(藤原時代、国宝・12年に一度、辰年のみご開帳の秘仏)の他、鎌倉時代に彫られた、口から六体の阿弥陀仏が出てる空也上人像・座って経巻を読んでる平清盛坐像が有名です。
六道珍皇寺は「六道さん」の名前で親しまれる小さなお寺です。お盆の頃には精霊迎えに参詣する人で大賑わいするそうです。小野篁(おののたかむら・昼は宮廷で宮仕え、夜は閻魔大王に仕えた平安時代初期の官僚)があの世とこの世を行き来したという井戸が残されています。
六波羅蜜寺と六道珍皇寺は八坂神社西楼門前の東大路通を五条方面にまっすぐ行って、適当に角を鴨川方面に曲がれば直に着きます。でも今回は車とか交通量の多い大通りは避け、裏道を通って行くことにしました。
京都はちょっと裏道に入ると地蔵堂があったり、すだれの似合う数奇屋風の民家があったり、雰囲気のいい古いお寺があったりで寄り道するのも面白い。
ふらっと歩いていくと、ラブホテルに囲まれて絵馬のたくさん飾っている神社にでました。
絵馬堂には入らなかったけど、馬やら何やらが描かれた大きな立派な絵馬が壁にかけられていました。かなり古そうな絵馬です。この神社は縁結びや縁切りにご利益があるとの事で、願い事を書いたお札がたくさん結びつけられていました。
他にも崇徳天皇のお墓もあった。でもなんか荒れていました。
そんなこんなで六波羅蜜寺に昼頃到着。本堂は40年ぐらい前に修復されたという事で柱に塗られた朱が鮮やかでした。本堂横には水掛弁才天がおまつりされています。この水でお金を洗うと金運がよくなるそうです。お参りの婆さんが結構いて、熱心に拝んでました。本堂の朱も人がよく触れる所ははげてツヤ光りしていました。
真言宗のお寺は信仰心が手垢みたいにこびりついてテカテカ光っている感じです。真言宗圏で生まれ育った自分にとっては落ち着く風景だ。
空也上人像などの木像は本堂裏手の宝物館で拝観できます。町の小さなお寺なのにたくさんの仏像が残っているのに驚きました。やっぱり昔は凄く力のあるお寺だったのでしょう。
仏像は地蔵菩薩立像・四天王立像などが藤原時代作の他、鎌倉時代作のものが多かった。
空也上人像は鉦を叩きつつ片足を一歩踏み出し、口からは仏さんが出ていました。胸元ははだけているし、痩せていて小柄でどちらかというと貧相な体格です。血管の浮いた額に眉を寄せた表情でなんか必死な感じがしました。ありがたくて神々しいというよりは人間そのものを像にしたという感じです。
鎌倉時代の彫刻は如来像や菩薩像は少しリアルで生っぽい人間くさい雰囲気を受けます。でも、実在した僧や人物の像は凄く生き生きしてるような気がするので、鎌倉時代の彫刻だと人物像の方が良いなーと思います。
空也上人像の前で、外人さんが像をスケッチしていました。普通、お寺は仏像は写生禁止のところが多いけどここはいいのかな。海外からという事で特別に許可してもらったんだろうか。分からん。

六道珍皇寺は六波羅蜜寺のすぐ近くにあります。お盆はお祭りで賑わうそうですが今日はお盆でもないので全く静かです。境内の横はすぐ家なので、境内から家のベランダに干された洗濯物とかが見えます。町中にある近所の寺みたいです。
閻魔堂には閻魔大王像と小野篁像がまつられています。それぞれの像の前には目をむいた鬼のがひかえていますが、照明の具合で目がギラッっと光って怖い。しかも閻魔堂の戸は開けられないので、小さな格子の隙間からのぞくように拝観します。のぞいた瞬間、鬼の目をむいた顔が近くにあるので、小さな子にはトラウマになりそうです。それ以上に小野篁像が異様に怖い。でかい上、胡粉がハゲかけた白い顔に目が光って怖い。閻魔大王より二割り増しで怖い。
他にも境内には赤いよだれかけをしたお地蔵さんがかたまっておまつりされています。
立札の説明書きによると、平安時代は風葬が一般的で、この付近は遺体を野辺送りする場所だったそうです。六道珍皇寺から鴨川にかけては打ち捨てられた遺体がたくさんあったそうな。
六道というのは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六つの世界のこと。その六道の交差点であるこの付近は「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境目にあたるとの事です。小野篁(たかむら)が冥府へ通った入口はこの寺の井戸といわれ、本堂横の庭に残されています。
境内にたくさんあるお地蔵さんも死者をまつるためのものなんでしょうか。お寺自体はこぢんまりしています。でも、閻魔堂のただならぬ形相の鬼の像とかを見ていると、あの世の入り口という異世界ムードを感じなくもないです。お盆の頃はきっと雰囲気ぼうぼうだと思います。
六道珍皇寺の近所には、死んでからも子供を飴を与えて育てたという「子育て幽霊」ゆかりの小さなお寺や、幽霊に飴を売った飴屋が残されています。
上の渋い弘法大師の絵の写真はここのお寺で撮りました。
でも関西に住んでいながら、たくさんの素晴らしいお寺や古い町並み・文化財の残る京都に行かないのはもったいない。
桜の季節も終わったし、今ならちょっと空いてるかなぁと思いつつ建仁寺周辺をうろうろしました。この辺はいいお寺がたくさんあります。せっかくなので、建仁寺だけでなく近くの六波羅蜜寺と六道珍皇寺も行くつもり。
八坂神社の近くの駐車場に車をおいて、そこから五条方面に向って歩いていきます。桜の季節が終わったとはいえやっぱり八坂さん周辺はたくさんの観光客で賑わっていました。修学旅行の団体はもちろんのことリュックを背負った外人の観光客もたくさん見かけました。

建仁寺は最後に行く事にして、まずは六波羅蜜寺と六道珍皇寺へ。
六波羅蜜寺は平安時代中期に空也上人が開いたお寺で、西国第十七番札所礼場でもあります。
平安時代中期の京都は悪病が蔓延しており、空也上人は民衆を救うため、鉦を鳴らし念仏を唱えながら町を練り歩いたそうです。空也上人が刻んだと言われる十一面観音像(藤原時代、国宝・12年に一度、辰年のみご開帳の秘仏)の他、鎌倉時代に彫られた、口から六体の阿弥陀仏が出てる空也上人像・座って経巻を読んでる平清盛坐像が有名です。
六道珍皇寺は「六道さん」の名前で親しまれる小さなお寺です。お盆の頃には精霊迎えに参詣する人で大賑わいするそうです。小野篁(おののたかむら・昼は宮廷で宮仕え、夜は閻魔大王に仕えた平安時代初期の官僚)があの世とこの世を行き来したという井戸が残されています。
六波羅蜜寺と六道珍皇寺は八坂神社西楼門前の東大路通を五条方面にまっすぐ行って、適当に角を鴨川方面に曲がれば直に着きます。でも今回は車とか交通量の多い大通りは避け、裏道を通って行くことにしました。
京都はちょっと裏道に入ると地蔵堂があったり、すだれの似合う数奇屋風の民家があったり、雰囲気のいい古いお寺があったりで寄り道するのも面白い。
ふらっと歩いていくと、ラブホテルに囲まれて絵馬のたくさん飾っている神社にでました。

絵馬堂には入らなかったけど、馬やら何やらが描かれた大きな立派な絵馬が壁にかけられていました。かなり古そうな絵馬です。この神社は縁結びや縁切りにご利益があるとの事で、願い事を書いたお札がたくさん結びつけられていました。

他にも崇徳天皇のお墓もあった。でもなんか荒れていました。
そんなこんなで六波羅蜜寺に昼頃到着。本堂は40年ぐらい前に修復されたという事で柱に塗られた朱が鮮やかでした。本堂横には水掛弁才天がおまつりされています。この水でお金を洗うと金運がよくなるそうです。お参りの婆さんが結構いて、熱心に拝んでました。本堂の朱も人がよく触れる所ははげてツヤ光りしていました。
真言宗のお寺は信仰心が手垢みたいにこびりついてテカテカ光っている感じです。真言宗圏で生まれ育った自分にとっては落ち着く風景だ。
空也上人像などの木像は本堂裏手の宝物館で拝観できます。町の小さなお寺なのにたくさんの仏像が残っているのに驚きました。やっぱり昔は凄く力のあるお寺だったのでしょう。
仏像は地蔵菩薩立像・四天王立像などが藤原時代作の他、鎌倉時代作のものが多かった。
空也上人像は鉦を叩きつつ片足を一歩踏み出し、口からは仏さんが出ていました。胸元ははだけているし、痩せていて小柄でどちらかというと貧相な体格です。血管の浮いた額に眉を寄せた表情でなんか必死な感じがしました。ありがたくて神々しいというよりは人間そのものを像にしたという感じです。
鎌倉時代の彫刻は如来像や菩薩像は少しリアルで生っぽい人間くさい雰囲気を受けます。でも、実在した僧や人物の像は凄く生き生きしてるような気がするので、鎌倉時代の彫刻だと人物像の方が良いなーと思います。
空也上人像の前で、外人さんが像をスケッチしていました。普通、お寺は仏像は写生禁止のところが多いけどここはいいのかな。海外からという事で特別に許可してもらったんだろうか。分からん。

六道珍皇寺は六波羅蜜寺のすぐ近くにあります。お盆はお祭りで賑わうそうですが今日はお盆でもないので全く静かです。境内の横はすぐ家なので、境内から家のベランダに干された洗濯物とかが見えます。町中にある近所の寺みたいです。
閻魔堂には閻魔大王像と小野篁像がまつられています。それぞれの像の前には目をむいた鬼のがひかえていますが、照明の具合で目がギラッっと光って怖い。しかも閻魔堂の戸は開けられないので、小さな格子の隙間からのぞくように拝観します。のぞいた瞬間、鬼の目をむいた顔が近くにあるので、小さな子にはトラウマになりそうです。それ以上に小野篁像が異様に怖い。でかい上、胡粉がハゲかけた白い顔に目が光って怖い。閻魔大王より二割り増しで怖い。
他にも境内には赤いよだれかけをしたお地蔵さんがかたまっておまつりされています。
立札の説明書きによると、平安時代は風葬が一般的で、この付近は遺体を野辺送りする場所だったそうです。六道珍皇寺から鴨川にかけては打ち捨てられた遺体がたくさんあったそうな。
六道というのは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六つの世界のこと。その六道の交差点であるこの付近は「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境目にあたるとの事です。小野篁(たかむら)が冥府へ通った入口はこの寺の井戸といわれ、本堂横の庭に残されています。
境内にたくさんあるお地蔵さんも死者をまつるためのものなんでしょうか。お寺自体はこぢんまりしています。でも、閻魔堂のただならぬ形相の鬼の像とかを見ていると、あの世の入り口という異世界ムードを感じなくもないです。お盆の頃はきっと雰囲気ぼうぼうだと思います。
六道珍皇寺の近所には、死んでからも子供を飴を与えて育てたという「子育て幽霊」ゆかりの小さなお寺や、幽霊に飴を売った飴屋が残されています。
上の渋い弘法大師の絵の写真はここのお寺で撮りました。
